本郷クラブ2005年度例会

第18回 12月例会(12月3日)午後6時〜
加藤嘉昭 「食育」の原理を考える
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 加藤嘉昭(健康・薬事評論家)
講話 「食育」の原理を考える

16世紀初頭の朝鮮王朝時代を舞台にした韓国テレビドラマ『チャングムの誓い』(原題「大長今」)は、王の主治医まで上りつめた女性チャングムの物語だが、まさに医食同源・食薬一如の韓方や食事(餌)療法とハリ(鍼)療法を私たちに再認識させるドラマでもあった。
これらの療法は、近年アメリカで起こっている、西洋近代医学に代わり補完する「補完代替医療」として再評価の対象にも含まれている。翻って日本の現状を見ると「食育」が騒がれる昨今だが、医学と栄養学を乖離させたままに始まった日本の近代化は、西洋医学による漢方の駆逐であり、カロリー栄養学の導入であった。そして戦後の食の欧米化である。
「食育基本法」が成立した今こそ、日本の食文化と近代栄養学の問題点を考えておきたい。

資料1 レジメ
資料2 食育基本法の概要

講師略歴

健康・薬事評論家、薬事法問題研究会コーディネーター。
著作に、共著『食の原点と関係法規』(昭和59年7月、東洋医学舎刊)、編著『縫康食品・自然食品ガイド』(昭和61年4月、自由国民社刊)、解説『米国栄養補助食品健康・教育法解説マニュアル』(1995年3月、ヘルスビジネスマガジン社)、通信教育テキスト『食と健康の関連法規』(平成15年8月/平成17年10月)(日本綜合医学会・食養学院)ほか。





第17回 11月例会(11月5日)午後6時〜
佐古岡清生「明日の日本を考える」
素人が、史実とデータをもとに 明日の日本を考える
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 佐古岡清生(編集デザイナー/東京メディア工房スペース代表)
講話 「明日の日本を考える」
素人が、史実とデータをもとに 明日の日本を考える

講師略歴
編集デザイナー。昭和23年(1948)、愛媛県生まれ。
大阪商業大学質易学科卒業。読売新聞社出版局を経て独立。
母校校友会の関東支部事務局として、6年前から毎月事務所会議室で「飲みながら勉強会」を聞き、間もなく70回になります。
昨秋は母校から教授を招き、今春は学長と国会議員にお越しいただいて、文京シビックセンターで「公開シンポジウム」を催し好評でした。
この2回共に出席下さった丸山さんの依頼で、この時の資料(上記がその一部)をもとに同じタイトルで、出来るだけ当日までに最新資料を用意してお話しさせていただこうと思っております。よろしくお願いします。





第16回 10月例会(10月1日)午後5時30分〜
◆第3回公開講座◆
森崎 東 映画と講演 戦後60年と私の映画人生
上映作品 『黒木太郎の愛と冒険』(1977年)
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★




第15回 9月例会(9月3日)午後2時〜
宮川容子 相馬野馬追祭を語る
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★




第14回 8月例会(8月6日)午後6時〜
玉井五一 戦後文学において埴谷雄高が問いかけるもの
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 玉井五一(エディター・文芸評論)
講話 戦後文学において埴谷雄高が問いかけるもの

私の文学への出発は“アプレゲール・クリアトリス”と俗に言われた《戦後文学》、わけても野間宏の『暗い絵』、『顔の中の赤い月』、『崩壊間隔』の初期作品や、希有ともいえる『復興期の精神』の花田清輝、そして極北ともいえる畢生の大作『死霊』の作者埴谷雄高と共にありました。その気持ちは今も変わりありません。そのうち、たまたま今回は存在論的・宇宙論的に難解とも絶後ともいえる埴谷雄高の世界に、極力やさしく、くだけて体当たりしてみたいと思います。





第13回 7月例会(7月2日)午後6時〜
森まゆみ 戦後60年 私と谷中・根津・千駄木
──谷・根・千から世界を語る──
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 森まゆみ(作家)
講話 戦後60年 私と谷中・根津・千駄木
──谷・根・千から世界を語る──

谷根千工房

森まゆみブログ




第12回 6月例会(6月4日)午後6時〜
白仁成昭 柳澤桂子『生きて死ぬ智慧』般若心経を読む
(場所=文京区民センター)



講話者 白仁成昭(ライター)
講話 柳澤桂子『生きて死ぬ智慧』般若心経を読む

古典の現代語訳を、私はあまり好きではありません。しかし、柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智慧』(小学館刊・五刷/80,000部)には本当にびっくりしました。帯の「心訳」ということばがぴったりです。
柳澤さんのような、美しく力のある言葉で、現代語に移し換えられるのなら、「般若心経」にとっても本望でしょう。ことばの力では、柳澤さんに及びもつきませんが、この「般若心経」を歴代の仏教徒がどのように読んできたのか、極力書かれている言葉を離れぬようお話ししたいと思います。





第11回 5月例会(5月7日)午後2時〜
崎本仁彦(染太郎) 浅草往時を語る
──エノケンから渥美清まで──
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 崎本仁彦(染太郎)
講話 浅草往時を語る
──エノケンから渥美清まで──

浅草「染太郎」 公式サイト




第10回 4月例会(4月2日)午後5時〜
◆第2回公開講座◆
黒木和雄 映画と私の戦後60年
上映作品 『祭りの準備』(1975年)
(場所=文京シビックセンター)
★会場スナップ写真★



講話者 黒木和雄(映画監督)
講話 映画と私の戦後60年

上映作品 『祭りの準備』(1975年)
製作/大塚 和、三浦波夫
脚本・原作/中島丈博 撮影/鈴木達夫 音楽/松村禎三
出演/江藤 潤、馬淵晴子、ハナ 肇、浜村 純、竹下景子、原知佐子
原田芳雄、犬塚 弘、杉本美樹、阿藤 海、森本レオほか

本作で脚本も担当している中島丈博の半自伝的小説を、『竜馬暗殺』の黒木和雄監督が映画化。南国土佐の自然を背景に、一人の青年が様々な経験を通して成長するさまを描いたドラマ。昭和30年代初頭。町の信用金庫に勤める20歳の楯男には、シナリオ作家になるという夢があった。そんな楯男にとってひそかに想いを寄せる存在が幼なじみの涼子だった。しかし、涼子には恋人がいて、どうすることもできない楯男は、隣家の精神異常の娘と寝てしまう……。

黒木和雄監督の主な作品
とべない沈黙(1966)加賀まりこ
キューバの恋人(1969)津川雅彦
日本の悪霊(1970)佐藤 慶
竜馬暗殺(1974)原田芳雄
TOMORROW 明日(1988)桃井かおり
美しい夏キリシマ(2002)柄本 佑
父と暮せば(2004)宮沢りえ
紙屋悦子の青春(2006)原田知世





第9回 3月例会(3月5日)午後2時〜
島田 悠 イスラム建築を訪ねて
──スライド上映──
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 島田 悠(ライター)
講話 イスラム建築を訪ねて
──スライド上映──





第8回 2月例会(2月5日)午後2時〜
横山豊子 私を動かした食の危機
──「自然食通信」をふりかえって──
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 横山豊子(出版社代表)
講話 私を動かした食の危機
──「自然食通信」をふりかえって──





第7回 1月例会(1月8日)午後5時30分〜
上條道夫 商業写真撮影の現在と展望
──現場から見るアナログとデジタル──
(場所=文京区民センター)
★会場スナップ写真★



講話者 上條道夫(写真家)
商業写真撮影の現在と展望
──現場から見るアナログとデジタル──

全て「勘」でやれ、という世界
 今日の講師をやらせていただく上條です。
 私は商業写真を主に撮っていますが、1964年、東京オリンピックの年に、山本写真工芸という写真館で住み込み仕事を始めました。ここでの仕事は、クボタ鉄鋼のディーゼルエンジンの撮影から、結婚式、お見合い写真などの撮影まで、実に広範囲に渡っていました。昔は、営業写真館が、商業写真も兼ねており、まだ今のように商業写真単独の人たちが少なかった時代ですね。
 それから、1970年には大阪万博に久保田館展示制作参加。1972年に上京。1982年に商業写真家としてスタートを切ります。1995年にデジタル画像処理を始め、2002年には早稲田にスタジオを開設しました。私はもともとフイルムでしたが、最近はデジタルカメラユーザーになってしまいました。今の仕事は、ほぼ100%デジタルです。

 デジタル写真の話の前に、少し昔の話をします。
 私が、住み込みを始めた頃は、ほとんどの写真館がまだ暗箱という木製カメラを使っていました。だいたい手作りで、今のように確実に写りません。フイルムをつめる段階でゆがみ易く、焦点距離もピントが合ったところで合うのでなく、誤差が生じるので、それを経験で修整して撮っていたような時代です。照明も、さすがにマグネシウムを使ってこそいなかったけど、非常に光源の弱いフラッシュとタングステンのライトが主。フイルムの感度も低かったため、撮影にはたくさん制約がありました。
 当時、営業写真館ならではの仕事として、写真の修整があった。今ならパソコンですぐできるけど、当時は職人の技でした。今は、アンブレラで反射させて光を柔らかくするけど、昔は光源を直接当てていたから、光の当たるところは真っ白で、逆側は真っ黒になるくらいにコントラストがついてしまった。「その中間部分をどう修整するか……」というところが、写真館の腕の見せ所でした。フイルムにニスを塗って、硬筆(こっぴつ)……今の10H鉛筆くらい……で、フイルムにミリ単位で鉛筆を塗っていた。当時は、毎日修正を3時間やらされていた。
 一人前になるのに10年掛かると言われていた時代です。まあ、10年というのは、若い人に1年やそこらで辞められたら、先生が困るということで、長い時間引きとめようとしていたこともあるでしょう。でも、修正は確かになかなか困難な作業です。ネガの肉のりのいいところに鉛筆はすっと乗るんですけど、薄いところにはなかなかつかない。コツを掴むのに、10年とは言わないまでも、確かに3年そこらはかかりましたね。これの何がよかったかというと、ずーっと見続けることで、ネガの濃度の比較に熟練しました。
 当時は、「全部勘でやれ」という時代でした。修整のみならず、露出や、フイルム現像・紙焼き(プリント)もそうです。露出なら、「この光なら絞り値がいくつでシャッタースピードがいくつ」ということが頭に入ってないと職人さんと認めてもらえない時代でした。露出計を使うと、同業者から「シロウトだ」と指差されました。フイルム現像と紙焼き(プリント)も、今は、タイマーで測ってますが、昔の職人さんは、セーフライトの見えるか見えないかギリギリのところで0.5秒など判断をしていました。今にして思えば、すごく非合理ですが、当時は「そういうもんだ」と思ってひたすら頑張りました。
 写真を撮って確認するという練習も、当時は、フイルム等の値段が高くてできなかった時代ですから、常に、「今この光量なら、絞り幾つ、シャッタースピードが何分の一」といった感じに、シャドーボクシングしながら練習していました。
 これが僕の15歳から20歳くらいまでの頃です。

 今は、カメラの性能が上がってほとんどオートでできるようになりました。照明も、直接当てるのではなく、バウンスさせて柔らかい光を当てられるようになりました。合成や修整もパソコンでデジタル処理できるようになって、硬筆(こっぴつ)は、一部の営業写真館でやっているところがあるくらいですね。

ニコンD1でデジカメが広がった
 デジタル撮影自体は、実は相当昔からありましたが、急激に広がったのは、ニコンが「D1」という一眼レフ型のデジタルカメラを発表した後です。それまではちゃんとしたデジタルカメラだと1000万円くらい必要で、個人で所有なんてとてもできませんでした。それが、D1は、50万円くらい。従来のニコンのフイルムカメラのレンズも使えるということもあって人気を博します。
 とはいえ、最初はそこまで広がりませんでした。デジタル画像を実際に印刷にまわすとあまりいい色が出なかったためです。これは別にデジタルカメラが悪いわけではなく、製版屋やカメラマン、印刷所みなが、まだ経験不足だったからでしょう。ただ、デジタルへの期待が大きかったために、「なんだ、アナログの方がいいじゃないか」ってことになったんです。まあ、今では、デジタル撮影を教えてくれる団体や本があり、極端な問題はあまり生じなくなりました。

デジタルで「コスト減」「時間短縮」「ネット納品可能」に
 でも、どうしてそんなにデジタルになってくるのでしょうか?
 まず、撮影点のメリットを挙げると、
 1.フイルムがいらない
 2.照明機材がフイルムの半分から10分の1でよい。
 3.結果がすぐ分かる
 4.通信可能
 (1)は、言わずもがな。(2)は、否が応でも車で行かないと行けなかったのが電車で済んでしまう。(3)の、結果がすぐ分かるということで、フイルムだとポラロイドカメラで撮影して、2分間待って確認していたのが、デジタルならすぐ液晶やプリンター出力ですぐ確認可能。撮影が非常に早くなりました。私を例に挙げると、商品点数が100カットくらいで2日掛かっていたものが、6時間くらいまで短縮。それで、撮影料金も減らしましたけど。本当は安くしたくないですけどね(笑)。
 ただ、フイルムは、撮影した後は現像所に全任せしていたからそれで終わりだったけど、デジタルだと後処理にものすごく手間と時間がかかってしまいます。それが問題点ですね。
 (4)……。実はこれが一番の機能なんです。通信がなければ、デジタルも実はあまり意味がない。ブロードバンドに伴って、遠隔地の人にもすぐ写真を確認・納品できるようになったのが一番の魅力です。
 昔はよく、クライアントとデザインナーが撮影に立ち会ってましたが、今は、商品が宅急便で送られてくる、撮影、データ送付でクライアント確認、GOサインが出たら、本格的に撮影開始……と、まあ、すごく便利です。
 でも、「誰でもそれなりにきれいな写真が撮れる」という問題(?)も出てきました。みなさんに、資料としてお渡しした、料理のチラシ。これの、一番頭の部分と、逆に後ろの上の部分。これは私の撮影を横で見ていた全くの素人さんが同じカメラで、撮った例です。もちろん、細かい欠点を挙げればたくさん在ります。私なら逆光でテリを工夫しますよね。あと、この写真は手前にピントが来てません。でも、普通の人は写真の質を細かく見たりはしませんから、これでも通ってしまう。
 今後、こういう風に、シロウトさんが自分で撮るってことが、どんどん増えていくでしょうね。……うちの愚痴みたいですね。笑

 今は、ホームページ素材の撮影がものすごく増えています。これも自分で撮る人が増えてきているので、カメラマンにお願いするのは商品の全方向撮影や、パノラマ写真などですね。ただ、このパノラマ写真も、一昔前だと、水平や直角をきっちり合わせて撮っていたけど、デジタルはある程度でたらめでも、ソフトできっちり合わせられる。カメラマンの腕の見せ所はほとんどなくなってきてますね。デザイナーもそうだけど、カメラマンも今後厳しい状況になってきます。

アナログよりもデジタルの方がいい絵を創れる
 多くの人は、デジタルを大きく誤解しています。デジタルよりもアナログが優れていると思い込んでいるので、アナログで撮りたいと言う人が多いです。でも、私のように、アナログの限界を知っている人間にしてみれば、デジタルは問題ないレベルに来ています。ただし、デジタルも、撮影画像そのままでは勝負できないから難しい。ラチチュードの問題にしても、部屋の写真撮ったのがありますけど、結局、明るいところから暗いところまで全てを一発で記録するのは難しい。これはポジフイルムでも一緒。明るいところは白く飛びますし、暗いところは黒くつぶれてしまいます。動かないものなら、デジタルで露出を変えて撮影して、後で適正部分を合成してしまえばきれいにでます。

デジカメの性能は画素数だけにあらず
 みなさんデジタルカメラを買われる時、画素数を気にされる方が多いと思いますけど、重要な要素がもう一つあります。ダイナミックレンジです。文字をどこまで細かく読めるかなんかは画素数が関係してきますが、色合いは画素数ではなく、ダイナミックレンジに依ります。
 ダイナミックレンジが広いと、写したものをより忠実に再現できます。忠実に再現するより、ある程度情報量をカットした方がハデに見えるので、感覚的にはダイナミックレンジの狭い安いカメラのほうがきれいに感じることもあります。情報量が少ないということは、追加の画像の修整・補正が効きづらく、明るさをいじれるくらいです。
 だから、同じ600万画素でも、デジタル一眼レフの600万画素と、コンパクトデジカメの600万画素は絵が全然違う。一眼型の方が、受光素子がずっと大きいから、ゆとりを持って光を取り入れられて、きれいな絵を作れます。

今はD70がオススメです
 では、最後に。僕は別にニコンからお金をもらっているわけでは在りませんが、今オススメは、ニコンのD70です。私の仕事も現在はほとんどこれでこと済むくらいです。10万円位しますが、これでできることを考えると、決して高くないと思います。
 また、何か欲しいなって時は、相談に乗りますから。

――後半。

入江泰吉 一期一会の精神がよい写真家を育てる
 ちょっと土門拳について語りたいと思います。僕の直属の先生が入江宏太郎で、そのオジが入江泰吉なんです。
 土門拳は、あまりに有名ですよね。アマチュア指導にすごい力を発揮しました。「いい絵を撮りたかったら、同じ場所に100回、200回、300回通え、雪の日も雨の日も、シャッターチャンスを狙えば、そのうち一枚はいいのが取れる」と。彼は、自分のために風景があるような人です。
 一方、入江泰吉さんは、対象があって自分が存在している、というような人です。シャッターを押す前にお祈りしてから撮ります。
 土門さんの発言は我々の世代から言うと、すごいパラドックスがある。本来写真は、一回しかないチャンスをものにするものです。土門さんの100回通へという論理は、むしろ「絵画」に近づく感じです。完璧な絵、完璧な構図は、一回じゃ無理だから何回も通って完成させる。ただ、土門さんはそんなことを言っているから、アマチュアの指示は得られましたが、意外なことに弟子を育てていません。彼の弟子の藤田さん・我妻さんが金持ちになったなんて話は聞いたことがありません。入江さんの弟子はみんな金持ちになっていますけど……。
 写真は言うなれば、人のものを盗んでいるわけで、風景があってこそです。入江さんのお祈りをするのは多少行き過ぎている気もしますが、対象を一期一会と捉えて臨む姿勢が、よい写真家を育てたのだと思います。

 於 文京区民センター3D

 録音・テキスト作成/岐部淳一郎

上條道夫写真事務所



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